ゆるんでいく日々

楽に自由になっていくことを追求しているヒーラーのチャネリングメッセージと、ライフワーク日記をお届けします。

現代のシャーマン

このブログはお引っ越ししました

2021年1月から、ゆるんでいく日々は再開いたしました。

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今後ともよろしくお願いいたします。

お久しぶりです!

しばらく更新できてなかったですね~。

なんだが毎日色々なことが(内的に)起こってなかなか落ち着きません。

 

最近思うことをつれづれ述べていきたいと思います。

 

私の仕事ってヒーラーでもカウンセラーでもなくシャーマンのような感じなのかなぁと思うようになりました。

ずっと前に心に「あなたは治療者ではなく聖職者」ということを言われてからずっと気になっていたんですよね。

どうしても社会の型にはめようとすると、なんらか「治療者」という形にしてしまった方が楽で、聖職者と言われても特定の宗教を信仰しているわけでもないのでその時はあんまりピンときてなかったんです。

でもたまたま、有名youtuberが除霊動画とか口寄せとかを受ける動画を上げているのをみて「なるほどなぁ」と感じるものがありました。その時に「シャーマンキング」という漫画のゲームを紹介していたので「シャーマン」という言葉がちょっと頭の隅に引っかかっていました。(シャーマンキング読んだことない)

 

思春期以降、私の人生を通してずっと「現代社会に対する課題意識」みたいなものがあって。

きっかけは中学時代にバカの壁を読んだことからだったと思うんですけど、ずっと感じていた違和感みたいなのをその本で言語化されている!と泣くほど感動した覚えがありまして。

その後も大学で日本民俗学を勉強していたので、シャーマニズムやアニミズム的なものがどんどん失われていくまさにその現場を目撃していたのも影響しているのかもしれません。(お祭りの映像とか、太鼓の音を聞くとなんか知らんけど泣いてしまう変な癖があります。)

別に、迷信を信じようとか、前時代的な俗習を手放しに肯定したいわけじゃないのですが、現代社会でバランスが崩れまくっているところに、なんらかバランスを取り戻す的な活動をしたいと、思えばずっとそんな風に感じていたのかもしれません。

 

そう、思えば、ずーっとそれを考えていたんですよね。

ここ最近、忘れてたんですけど。

 

どんなに文明が栄えても物質社会が進化しても人間の悩みや苦しみというものは普遍的な側面があるじゃないですか。

それを今のやり方で乗り越えられなかったことを認めて、もっと謙虚になってもいい時期なんだと思うんです。

今、私は治療者(ヒーラー、セラピスト)として存在していますが、それと同時に、思想家であり、預言者(チャネラー)であり、霊媒(ミディアム)であり、研究者であり、カウンセラーであり、教師であります。

研究者としては、哲学、宗教学、心理学、民俗学、栄養学、西洋・東洋医学など、色々な分野を超えて、人の悩み苦しみに対して何ができるかを模索しています。

治療も、催眠などの心理療法や、療育やソマティックなボディワーク、ハーブやアロマなどの自然療法、フラワーエッセンスやクリスタルやマントラなどの波動療法、気功などのエネルギーヒーリングなど、分野を超えてその時々その場合に応じて必要なことは違ってきます。

正解はないのです。

大切なのは人間が健やかに生き切ることができることで、そのためだったらどんな手段を使ってもいいのです。

さらに言ってしまえばこの時に大切なのは手段ではなく、意識の持ち方なのです。(その意識の持ち方を操作するために手段が多岐にわたってあるわけです)

なので、ある種、職業として割り切る治療者という型にはまらなくなってくるのです。

以前のように時間制で、ある側面から見れば流れ作業のように仕事をしていくことが難しくなりつつあります。

 

一体どうやって生きていけばいいんでしょうか?

こういう人間を現代社会ではなんて呼べばいいのかわかりませんで、困ってしまっていましたが、強いて言えば「現代のシャーマン」ということでどうでしょう?

それがここ最近考えていたことです。

 

現代社会では縦割りで、相談窓口も細分化しちゃっていて、こんな悩みなら弁護士とか、この場合は外科医とか、まぁ窓口がはっきりしている場合はいいんですけど、

例えば、どう生きたらいいんだ、とか、このままでいいのか、という悩みとか、医者に行っても治らない不定愁訴とか、そういうのって本当にどこに行ったらいいのかって、占いだの、心理カウンセラーだの、コーチングだのヒーラーだの、専門家はやたらたくさんいるんだけど、その方々の守備範囲もそれぞれで、なんとなくたらい回し(回り?)になりがちで、しかも、どこに行ったらいいかの相談はどこにもできないから困っちゃいませんか。

そういう時、現代文明以前だったらまずは長老のところに連れていかれるじゃないですか。やっぱりシャーマンというか、族長のところに連れていかれるじゃないですか。

今は民族集団が解体されてて、それはいいことでも悪いことでもないと思うんですけど、その場合もやっぱりそういうポジションがあった方が心強いですよね。

民族集団が団結していた時代であれば特的の民族的な神の霊媒としてのシャーマンでよかったんですけど、現代社会では特定の宗教の聖職者だとやっぱりそれも専門職っぽくなっちゃってて、縦割りでそこばっかりなるのも怖いし怪しいしってなるじゃないですか。

だからそういうところは横断的に見れるけど人格的には信用に値するポジションの人がいた方が何かと便利だし、現代社会で見失いがちな「何が大切か」というバランスを取り戻せると思うんだよね。

 

う~ん。

そんな仕事ってどうやったらいいんだろう

もう少し体を投げ出して、なんらかの答えを待ちたいと思います。