現代のシャーマン
お久しぶりです!
しばらく更新できてなかったですね~。
なんだが毎日色々なことが(内的に)起こってなかなか落ち着きません。
最近思うことをつれづれ述べていきたいと思います。
私の仕事ってヒーラーでもカウンセラーでもなくシャーマンのような感じなのかなぁと思うようになりました。
ずっと前に心に「あなたは治療者ではなく聖職者」ということを言われてからずっと気になっていたんですよね。
どうしても社会の型にはめようとすると、なんらか「治療者」という形にしてしまった方が楽で、聖職者と言われても特定の宗教を信仰しているわけでもないのでその時はあんまりピンときてなかったんです。
でもたまたま、有名youtuberが除霊動画とか口寄せとかを受ける動画を上げているのをみて「なるほどなぁ」と感じるものがありました。その時に「シャーマンキング」という漫画のゲームを紹介していたので「シャーマン」という言葉がちょっと頭の隅に引っかかっていました。(シャーマンキング読んだことない)
思春期以降、私の人生を通してずっと「現代社会に対する課題意識」みたいなものがあって。
きっかけは中学時代にバカの壁を読んだことからだったと思うんですけど、ずっと感じていた違和感みたいなのをその本で言語化されている…!と泣くほど感動した覚えがありまして。
その後も大学で日本民俗学を勉強していたので、シャーマニズムやアニミズム的なものがどんどん失われていくまさにその現場を目撃していたのも影響しているのかもしれません。(お祭りの映像とか、太鼓の音を聞くとなんか知らんけど泣いてしまう変な癖があります。)
別に、迷信を信じようとか、前時代的な俗習を手放しに肯定したいわけじゃないのですが、現代社会でバランスが崩れまくっているところに、なんらかバランスを取り戻す的な活動をしたいと、思えばずっとそんな風に感じていたのかもしれません。
そう、思えば、ずーっとそれを考えていたんですよね。
ここ最近、忘れてたんですけど。
どんなに文明が栄えても物質社会が進化しても人間の悩みや苦しみというものは普遍的な側面があるじゃないですか。
それを今のやり方で乗り越えられなかったことを認めて、もっと謙虚になってもいい時期なんだと思うんです。
今、私は治療者(ヒーラー、セラピスト)として存在していますが、それと同時に、思想家であり、預言者(チャネラー)であり、霊媒(ミディアム)であり、研究者であり、カウンセラーであり、教師であります。
研究者としては、哲学、宗教学、心理学、民俗学、栄養学、西洋・東洋医学など、色々な分野を超えて、人の悩み苦しみに対して何ができるかを模索しています。
治療も、催眠などの心理療法や、療育やソマティックなボディワーク、ハーブやアロマなどの自然療法、フラワーエッセンスやクリスタルやマントラなどの波動療法、気功などのエネルギーヒーリングなど、分野を超えてその時々その場合に応じて必要なことは違ってきます。
正解はないのです。
大切なのは人間が健やかに生き切ることができることで、そのためだったらどんな手段を使ってもいいのです。
さらに言ってしまえばこの時に大切なのは手段ではなく、意識の持ち方なのです。(その意識の持ち方を操作するために手段が多岐にわたってあるわけです)
なので、ある種、職業として割り切る治療者という型にはまらなくなってくるのです。
以前のように時間制で、ある側面から見れば流れ作業のように仕事をしていくことが難しくなりつつあります。
一体どうやって生きていけばいいんでしょうか?
こういう人間を現代社会ではなんて呼べばいいのかわかりませんで、困ってしまっていましたが、強いて言えば「現代のシャーマン」ということでどうでしょう?
それがここ最近考えていたことです。
現代社会では縦割りで、相談窓口も細分化しちゃっていて、こんな悩みなら弁護士とか、この場合は外科医とか、まぁ窓口がはっきりしている場合はいいんですけど、
例えば、どう生きたらいいんだ、とか、このままでいいのか、という悩みとか、医者に行っても治らない不定愁訴とか、そういうのって本当にどこに行ったらいいのかって、占いだの、心理カウンセラーだの、コーチングだのヒーラーだの、専門家はやたらたくさんいるんだけど、その方々の守備範囲もそれぞれで、なんとなくたらい回し(回り?)になりがちで、しかも、どこに行ったらいいかの相談はどこにもできないから困っちゃいませんか。
そういう時、現代文明以前だったらまずは長老のところに連れていかれるじゃないですか。やっぱりシャーマンというか、族長のところに連れていかれるじゃないですか。
今は民族集団が解体されてて、それはいいことでも悪いことでもないと思うんですけど、その場合もやっぱりそういうポジションがあった方が心強いですよね。
民族集団が団結していた時代であれば特的の民族的な神の霊媒としてのシャーマンでよかったんですけど、現代社会では特定の宗教の聖職者だとやっぱりそれも専門職っぽくなっちゃってて、縦割りでそこばっかりなるのも怖いし怪しいしってなるじゃないですか。
だからそういうところは横断的に見れるけど人格的には信用に値するポジションの人がいた方が何かと便利だし、現代社会で見失いがちな「何が大切か」というバランスを取り戻せると思うんだよね。
う~ん。
そんな仕事ってどうやったらいいんだろう…。
もう少し体を投げ出して、なんらかの答えを待ちたいと思います。
劣等感も優越感も、エネルギーの奪い合いの感情。劣等感を手放す具体的なエクササイズを紹介!
「スピリチュアル」な世界の話を理解していこうとすると、自分の強欲さや傲慢さを刺激される気がします。なんでも自分の思い通りになるような気がしたり、それを知らないひとを残念に感じたりすることがあります。それは自分にとって居心地のいい感情ではありません。どうしてこんな気持ちになるのでしょうか?(ほし☆さん)
ご質問ありがとうございます!!!
「こんにちは。
これは「スピリチュアル」という世界の話が原因ではなく、この方のエネルギー不足が問題なのです。
なんとかして優位に立ちたいという気持ちが、自分の得意なことだったりやりたいことだったりに結びついてしまい、とても邪魔に感じているのだと思います。
劣等感が強くなっているのです。
劣等感は優越感と比例します。
優越感が強ければ強いほど、その方の劣等感もまた大きなものだということを物語っていて、その逆も同じです。
そしてこの劣等感と優劣感というのは何かと言うと、他人と比較しての「勝ち負け」なのです。
必ず他人が出てきます。
この場合の「勝ち負け」というのはエネルギーの奪い合いなんですね。
他人が出てこない勝ち負けというのは、自分との戦いですから必ずしもエネルギーの奪い合いではありませんが、自分の外側の何かと比較しての勝ち負けというのはエネルギーの奪い合いであるコントロールドラマの一つの形なのです。
相手に対して優越感を感じると、力を得たように感じるのです。
自分が偉くなったように感じて気持ちいいのです。
逆に、相手に対して劣等感を感じると、エネルギーを奪われたように感じるのです。
そして恨みが募っていき、負けが続くと、エネルギーが枯渇してしまうのです。
その結果、このコントロールゲームに執着してしまうんですね。
エネルギーをなんとか奪い返そうとして劣等感が強くなってしまうのです。
その気落ちは「いつか見返して復讐してやる」といったものにつながり、その復讐の機会がこの方の場合は「スピリチュアルなことがわかる自分」というところに訪れたわけですね。
話を単純にすると、単にエネルギーが足りないのです。
強欲さも傲慢さも、そのままエネルギーのコントロールドラマの型にはまった感情です。
そして、足りないエネルギーをどう補給するかを知らないのです。
今までの人生は「勝ち負けのコントロールドラマ」の中で、他人と奪い合いを行ってきたため、そのことに執着してしまい半自動的にこのような思考になってしまうのです。
だから重要なのはエネルギーをどう補給するかという手段の問題なのです。
スピリチュアルというジャンルの問題ではないのです。
「なんでも思い通りになる」というのはエゴの欲求であり、この方の全体からすると、あり得ない願望なのです。
調和を求めず、本当になんでも思い通りになったら生きてはいけませんので…。
問題は飢えた気持ちです。
「なんでも思い通りになるんだぞ!」と思わなければやっていけないほどエネルギーが足りていないのです。
こちらの方が由々しき問題なんですね。
なのでコントロールドラマ以外の方法で、枯渇したエネルギーを満たす方法を探しましょう。
エネルギーが満たされれば、自分のことに一生懸命になり、他人のことなどどうだってよくなるのですから。
原理は単純なので、たとえば大気から水を作る方法のように、方法はいくらでもあるのです。
特におすすめの方法は、次のようなエクササイズです。
あなたたちには血の繋がった母親や育ての母親の他に、あなたを大切に思う母がいます。
どんな人にもです。
その母は、この大地、地球です。
あなたたちの体を支え、その恵みであなたたちを豊かにしています。
母なる地球の愛から離れて生きられる人間はいないのです。
そしてこのもう一人の母は、人間ではないためそのエネルギーも無限に等しいほど大きいのです。
いつでも立って、足の裏からそのエネルギーを吸い上げることができます。
いつでもその胸に抱かれ、甘えられますし、無限の慈愛が大気から全身に注がれます。
大切なのは「この母に甘えようとすること」「注がれる慈愛を受け止めようとすること」を、ビジュアライゼーションと深い呼吸をしながらハッキリと意図することです。
地球が、あなたの本当の母です。
人間の母親はどんなに優れた人物であれ、人間である以上完璧ではありませんし、無限にエネルギーを注ぐことも難しいのです。
このように、源となるエネルギーと繋がっていれば別なのですが、それでも人間である以上、感情によって左右されたり、その方の課題を持って生まれてきていますので、完全な慈愛を注ぎ続けることはできません。
しかし地球であるあなたの母は別です。
いつでもこのエクササイズを行い、エネルギーを受け取ってください。
できれば毎日、1日の中で何回でも、地球のエネルギーを受け取る意図をしましょう。
心から応援しています。
ありがとうございました。」
調子が悪い!と気づいた時、原因を探す前にまずやるべきたった1つのこと。
ご質問ありがとうございます!
全体的には「調子が悪いな」ということだけ感じるけど、どこがどうなっているのかまでは分からないことも多く、どのようにエネルギーを変えたらいいのかのアイデアも湧いてきにくいです。
そういう時はどのようにエネルギーの状態を立て直していったら良いのでしょうか?(富士熊さんより)
「こんにちは。
全体的に「調子が悪いな」と感じた時には、まず動いて、変えてください。
態勢を変える、その場所を離れる、深呼吸する、などどんなことでもいいので「動いて変えよう」と思ってください。
例えば部屋の片付けをしていたとしましょう。
そこで、だんだん自分の調子が悪くなってきたことを感じたとします。
その時には、部屋の片付けを一度やめて、動いて欲しいのです。
部屋を出る、水を飲む、ベランダに出る、なんでもいいのですが、とにかく動くのです。
立っていたら、座って目を閉じてもいいです。
調子が悪いという時に自分に何が起こっているかを感じるためには、その時に背後で走っているプログラムを一度停止させなければいけないのです。
プログラムを走らせたまま考えたり、観察しても、ちっとも気付けないし気分は変わらないし、余計に調子が悪くなってしまいます。
そのプログラムに乗って動いているとどんどんエネルギーが下がっていってしまいますので、ますます気づけなくなるのです。
そのために「自分は調子が悪いということに気づいているぞ」と意図した行動を起こすことが大切です。
「正体を見破るぞ!」と意図する前に、「何かがいるということには気づいているぞ!」と意図することが必要なのですが、この意図をよりしっかりさせるためには実際に動いてしまうことがいいんですね。
そうせずに頭の中だけで「なんでだろう」と考えながら、続けてしまうと、機会を逃してしまいますので。
そして例えば、「調子が悪くなってきた気がするから」キッチンに移動してお茶を入れて飲もう、と行動するわけです。
そうするとプログラムが停止するので、アイデアが湧きやすくなります。
「あれ、私って焦っていたのかな」とか、「怒っていたのかな」とか気付きやすくなるのです。
気付けばそのエネルギーが変わりますので、行動が変わります。
例えば「今日中に絶対終わらせないと」と思っていたことが「やっぱり明日までにしようかな」と思うことができたら、行動が変わりますよね。
そうすると機嫌が変わりますので、その後のタイムラインも違うところにシフトするわけです。
そして、大切なのは「全体的に調子が悪いな」と感じたら「それは重大なことだ」と思うことです。
調子が悪いというのは、些細なことではないのです。
エネルギーの状態が乱れている、枯渇している、滞っているということですから。
できるだけ「でもまぁ今は忙しいし」と後回しにしないことです。
あなたの機嫌は、あなたの世界の全てで、それ以上に重要なことはありません。
参考になれば幸いです。
ありがとうございました。」
自分を変えたい!という人ほどゆっくり変わることが大切。自己否定ではなく自己受容からスタートしよう。
「こんにちは。
変化は一気に起こそうとしないでください。
一気に起きた変化は反動を伴います。
それまで海で生活していた魚が、いきなり川に入れられたら適応できなくなってしまいます。
進化と呼ばれるようなゆっくりとした環境の変化に適応することで、川で生活する機能を持つことができるのです。
それと同じように、全ての存在には恒常性を保とうとする働きがあり、複雑な存在ほど急激な変化には適応できないのです。
一方で、全ての存在は驚くほど柔軟に環境に適応できる力があります。
それには「少しずつ」ということがキーワードになります。
例えば引越しや転職などが、それ自体ストレスであるという研究は、そういう意味で正しいのです。
好ましいものであろうと、そうでなかろうと、変化は変化なのです。
今ある状況に不満があったとしても、いきなりそれらすべてが夢のように解決してしまっては、かえって危険なのです。
不満があったとしても、その状況にしっかりと適応している現状があるのですから。
だから、焦りは禁物です。
また、大きな変化があった場合は、想像以上に心身に負担がかかっていることを自覚して意識して休息を取るようにしてください。
いい変化であっても、悪い変化であってもです。
変化の前後にとても眠くなる体質の人もいますが、これもその変化に適応する目的があるのです。
その時はゆっくり長時間、寝たほうがいいのです。
このことは、部屋の掃除に似ています。
とても汚く散らかった部屋に住んでいたとすると、本人がそれが嫌だと思っていたとしても心身はそこに適応しているのです。
一気にその部屋を片付けてしまうと、達成感や満足感を感じるどころか、かえってそのことがストレスになってしまうのです。
だから一箇所ずつ、達成感を感じられる程度のペースで、少しずつ片付けていくのです。
そうすると少しずつ体が風通しのいい環境に適応していきますので、リバウンドしてしまうことがないのです。
いい習慣を増やすことも、少しずつ行うのがいいのです。
たとえそれらすべてが自分が心地いいと思う習慣であっても、いきなり全部のライフスタイルを変えようとしなくていいのです。
一つ一つ揃えて、一つ一つ味わって自分のものにしていくのです。
他に「あれもいいかも」「これもいいかも」という情報が入ってきても、一旦ストックしておいて「今はこれとこの2つだけをとりあえず続けてみよう」と気長に取り組んだ方がいいのです。
そのことを続けていくと、いつの間にか自分に心地いいものに囲まれた生活に慣れてしまうのです。
そうでない生活だと違和感を感じるようになるのです。
逆に自分に好ましくない習慣であっても「ちょっとだけならいいかな」と思い、ちょっとずつちょっとずつ増やしていくと、しっかり定着してしまうのですね。
なので、もしそちらにいきたくない場合は「少し様子が変だな(好ましくない方に行ってしまいそうだな)」と思ったら気を引き締めることが大切になります。
些細なサインを逃さずに、自分の機嫌を大切にするところに立ち戻っていただきたいのです。
話を戻します。
一気に変わる必要はありません。
今、現状のあなただって、否定されるものではなのですから。
一気に変わろうとすることは現状否定・自己否定のエネルギーを生みやすいのです。
しかしその種のエネルギーほど、あなたを攻撃するエネルギーはないのです。
今の自分を受容することで、より好ましい変化を起こしていただきたいのです。
心から応援しています。
ありがとうございました。」
エネルギーの状態を知るのに特殊能力は必要なし!今の状態をチェックするたった1つのポイント。
こんにちは、みくです。
今日もご質問の回答チャネリングになります!
自分自身のエネルギーの状態について感じようとする時、どういうことを感じようとしたらいのか、わかるようでわからない気がします。
例えば、体の箇所一つ一つや、チャクラの場所一つ一つに意識を向けて、どんな感じがしているか調べてみるという感じでやったらよいのでしょうか?ここに注目するといいよ、みたいなポイントがあったら知りたいです。
「こんにちは。
この方がおっしゃるように、体の感覚を感じることももちろん役に立ちます。
しかし、そのように専門的に、難しく考えて行わずともよいのです。
エネルギーの状態というものは特殊な能力がある人だけが感じられるものではないということなんですね。
一番わかりやすいのが「気分」をみることです。
注目するポイントは、「機嫌がいいかどうか」ということです。
何か面白いことを言われた時に、すぐに笑えるかどうかということです。
機嫌が良いというのは、楽しい気分や、くつろいだ気分、軽い気分といったものになりますね。
そうではなくて、どことなく暗い気分だったり、億劫だったり、重かったりという気分であれば、それはあまり機嫌がいい状態ではありませんね。
このような機嫌が良い、悪い、ということは、今のあなたのエネルギーの状態を知る、とてもわかりやすい感覚だと思います。
空元気で表面上は明るく元気に振舞っていても、本当は無理していた場合、その人の機嫌が悪いことは、自分も他人も薄々気づいているものです。
この「機嫌」というのが実はエネルギーの状態を素直に表し、表面的に取り繕うことができない、意外と本質的なものなのです。
エネルギーの状態、というと、なんだかとても特殊なことのように感じてしまうのかもしれません。
しかしあなたたちは、生まれてから今までずーっとエネルギーの状態に左右されて生きてきました。
そうじゃなかった時間は一瞬たりともなかったのです。
これは決して特別な現象ではないんですね。
そのようなことに全く関心のない人であっても全て、エネルギーの状態で存在していて、その状態をあらゆるレイヤーで感知しながら生きています。
そして機嫌は、自ら変えることができるというのが、ここで最大に、大切なポイントなのです。
機嫌は、変えていいのです。
悪い機嫌は、良くしていいのです。
自分で、良くすることができるのです。
それが自由意志の発揮なのです。
大切なのは、何をすれば自分の機嫌が良くなるか?という視点です。
赤ちゃんが泣いていたら、お腹が空いていたのでしょうか?
それともオムツが濡れているのでしょうか?
その場合は、オムツを替えずにミルクをあげても赤ちゃんは泣きやみません。
機嫌は直りません。
赤ちゃんが泣いていたら、それを放置するのはとても大変でしょう。
うるさいですし、気になっちゃいますし、どうしても面倒を見たくなります。
しかしあなたたちは自分の機嫌が悪くとも平気で放置してしまうのです。
機嫌が悪いのはなんとなくかっこ悪いと思って取り繕おうとすることもあります。
そして、それ以外のことを優先してしまうのです。
確かに、大人ですから、すぐにはご自身の機嫌をとることが難しい場面もあるのかもしれません。
しかし、できる範囲で自分の優先順位をあげることは出来るはずなのです。
機嫌が悪い状態、つまりエネルギーが枯渇していたり滞ったままいることは、それはそのまま周囲の人に伝わり、現実の中で自分に返ってきてしまうのですから。
なのでまず、自分自身を、赤ちゃんにするように「どうすれば機嫌が直るのか?」と考えてあげて欲しいのです。
触ってあげればいいのか?何かを食べればいいのか?音楽を聞きたいのかな?暑い寒いがあるのかな?と考えることは、すなわち自分のエネルギー状態をどう調整しようかな、と考えることと同じです。
そして自分の「機嫌を直すレパートリー」をたくさん知って、増やして、いつでもご機嫌でいられるようになっていくことが、ご自身の現実を変えるための最も強力な鍵となっていきます。
心から応援しています。
ありがとうございました。」
私の仕事は「机上の空論」と「現実」とのギャップを埋める橋渡しである
こんにちは、みくです。
今なんとなく私が提供するエネルギーワークってどんなかな?と考えています。
机上の空論じゃ飽きちゃう!
3年前、私がスピリチュアルを離れたのは、それは『机上の空論である』部分が多いと感じたことがきっかけでした。
例えばこのブログにもあるようなチャネリングメッセージや、巷に溢れる神さまからのメッセージだとかいうのも同じです。
めちゃくちゃいいこと言ってるし納得できるしすごい楽になるし救われた感じはするんですけど、それを聞いたからといって現実的に私自身が成長できた感じはしなかったのです。
自分の不調な症状が無くなったり、家族との喧嘩が無くなったり、感情に振り回されなくなったということが、まぁ、もちろんゼロではないにしても、変わった!という感じが、感じられなくなってしまったんですね。
そんな中、具体的な指針もなく延々とチャネリングメッセージをお伝えすることに飽きてしまったのです。
そして心理療法の道もまた…
私の目的はスピリチュアリストになることではなくて「少しでも生きやすくなること」だったので、そのための手段はここにはもうないのかも、と思ったのです。
そして「生きにくい原因」はトラウマにあるのかも?と思い、これまた楽しくて奥が深い、臨床心理、心理療法の世界に飛び込み、自分自身も色々なものを試しました。
それはそれで効果がありましたが、やはりまた「どうだろうか」と立ち止まって考えるような出来事が起こるのですね。
料理人だとすると料理の真髄はフランス料理だ!と思って修行したんだけどどうにも違うぞということで中華料理の研究をしたんだけど、どうやらそれも真髄というわけではないようであるという感じです。
つまり、やり方を見直さざるおえない、うまくいかない部分が出てくるのです。もう私の場合はめちゃくちゃに突っ走って中華料理店を開いてしまったもんだから、空中爆発しちゃった感じで、ドーン!パラパラ〜、わ〜綺麗ね〜という感じになってしまったんです。(その結果、学んだことが多すぎて、いいんですけど。)
そうなってみるとスピリチュアルだろうが、自己啓発だろうが、心理学だろうが宗教だろうが、そのジャンル自体はあんまり問題じゃないんだなってことが見えてきます。
突然具合が悪い上に治らない
そして今回、人生上で経験したことのある全ての不調と、さらに今回初めて経験するような不調まで全部をいっぺんにプレゼントしていただいたような時期がありました。
せっかくそのような機会だったので、色々な病院に行くだけではなく、これまで「どうせ効果ないやろ」と見くびっていた方法や、それから最新の臨床研究に基づいているような心理療法、両側性刺激だとか、身体志向アプローチだとか、流行りのパーツ心理学だとか、発達障害のトリートメントだとかまぁとにかく手当たり次第に「やってみた」んですね。
ハイハイするのがいいと聞けばハイハイし、テニスボールを後頭部に当てて寝転がってみたり、プロテインを飲んでみたり、全て背景にある理論をちょっとずつ勉強した上で試してみたわけです。
んで色々試してみた結果、改善する気がしない…と行き止まりを感じたり。
そして怪しい世界へ…
そんな時に忘れてたエネルギーワークのことを思い出したんです。そこまで追い詰められないと思い出さなかったかもしれません。
そこで、いわゆる「スピリチュアルヒーリング」界隈の本に書かれている「チャクラ」だの「オーラ」だの怪しい話が、「いやいやそういう偏見はいかん」と思って、真面目に研究されてきた先人たちの著書に手を出し、その意味がわかった途端に効果が出て。
メインに使ったのはレイキで、やってみると「わ〜楽しい!」という感じで、具合の悪い友人に「除霊してやる〜」と冗談を言いながらエネルギーワークやると「えっ本当に具合良くなった」と言われ、んじゃあ具合悪いクライアントさんたちにもやればよかったなぁ〜〜〜と後悔したり。(でも怪しいと思われることは怖くてできなかったんですよね。)
意図でエネルギーを動かせるのかを実験するためにチャクラを全部閉じて寝たら死にかけたり、フラッシュバックの時に水晶を握ったらスゥーと赤子のように寝てしまったりと言った経験を積み重ね、最初はどうしても信じたくなくて「嘘だろ〜!」と自分の固定観念ガラガラ〜という感じのところを乗り越えて、今に至ります。
食べられる餅だったのか!?
それでエネルギーワークによるセルフ集中治療室状態に数ヶ月励み、元気になってみると色々と不思議なことも起きるわけです。
まず世間一般的に見ればいわゆる「どん底」な状況下で「元気でいる」ことができるっていうのが不思議な訳ですが…。
そして改めてこのブログのチャネリングメッセージを読んでいると「なんだそういうことかよ!」ということが多々あるのです。
現実ってふにゃふにゃしてんじゃん!みたいな。
その存在さんも頑張って言葉を尽くして説明してくれているので文句を言ってはいけませんが、でも、やっぱりこの表現方法だと「そんなのよく言われてることだしわかってるけど、そうならないし実感も持てない」という結論になり、飽きちゃう。
そこに、私の今回の、のたうち回った経験が生きるわけですね。
その存在がいう「机上の空論」が、絵に描いた餅じゃなくて食べられる餅になる!ということが起きるんです。
どうですか、食べられたら嬉しくないですか、お餅。
今後はそのギャップを埋める橋渡しをしていきたい
私が今回提供したいエネルギーワークのずーっと延長線上には、その存在の言っているような今は魔法としか思えないような現実があります。
いきなりそこの話を聞いても「わかったよーな、わかんないよーな」となるのが当たり前で、目先に問題の方が大きすぎて忘れてしまいます。
自由で楽なその存在の言っている世界に行くには、今いる足元から一歩ずつそちらに進んでいかないといけません。
今、この「机上の空論」と「現実」の橋渡しをすることが私の仕事かなと思うようになっています。
ただエネルギーワークを提供して「リラクゼーションエステ」とかやるのもいいんですけど、どうせだったらその存在と一緒にセルフヒーリングまでマスターしてもらうような学校にしたらいいのでは?と今はそんなアイデアが出てきています。
今後はまたどうなるかわかりませんがマイペースにやっていこうと思います♡