ゆるんでいく日々

楽に自由になっていくことを追求しているヒーラーのチャネリングメッセージと、ライフワーク日記をお届けします。

合わない相手とは関わるな!高次元のコミュニケーションは、超ドライだった。

このブログはお引っ越ししました

2021年1月から、ゆるんでいく日々は再開いたしました。

yurun.jeez.jp

こちらで更新しております。

今後ともよろしくお願いいたします。

(昨日からの続き)

はい。

私はジャッジメントがない世界が好きで

そんなコミュニケーションをしたいなぁと思うのです。

だから、今回の友人のようにそんなコミュニケーションができると、

すごくいいです。

元気をもらうし、嬉しくなります。

 

でも、別の人と話すときなど、

相手のジャッジメントに引っ張られてしまう時もあります。

 

「波動領域が離れている場合もありますし、

 

同じ波動領域であっても、合う、合わないは、あります。

 

無理に合わせると、相手のジャッジメントの領域にあなたが粗くしていって

 

コミュニケーションするということになってしまいますね。」

 

それが嫌なんですけど。

 

「その方とはコミュニケーションしないほうがいいでしょう。」

 

やっぱり?

でもそんな人も、本当はジャッジメントのないコミュニケーションが楽しい、って

思ってるじゃないかなって思うんです。

たいていの人は、ジャッジメントなしのほうが気持ちいわけじゃないですか。

だから、こっちにおいでよ!って言ってあげたほうがいいのかなって。

(参考)

liberesta.hateblo.jp

 

「言ってあげるのはかまいません。

 

しかし、それでどうするかは人の自由です。」

 

もちろん。

 

「正直に申し上げると、余計なお世話なのです。」

 

ぎょぎょ!

 

「それはその方が、そのジャッジメントの帯域を好んでいるわけですから。

 

少なくとも、その時点では。」

 

うーん、やっぱりそうなんですね。

じゃあ、関わらないほうがいい?

 

「まあ、お互いそれがいいでしょう。

 

これが「棲み分ける」ということなんです。

 

少なくともあなたがジャッジメントに引っ張られて

 

自分自身でいるコミュニケーションができない相手とは

 

一緒に過ごす必要はないということです。」

 

きゃー。

でも、その相手が、友人だったりしたら?

 

「友人とはなんでしょう?

 

一度友人になったらその先もずっと友人でいないといけないのですか?

 

お互い、徐々に違う領域にいるようになってしまったら、

 

一緒にいてもお互いがすり減るだけですが、

 

それでもなお、関わりを持ち続けるのが「友人」ですか?」

 

み、耳が痛い。

でも、なんか悲しいんです。

せっかく出会えて、友達になれたのに。

 

「執着しなくてもいいんですよ。

 

何度でも、誰かと出会って、友達になれます。

 

その都度、自分に合う水で暮らせば良いのです。」

 

そっかあ、出会いに執着してたのか。

確かに得難いものだ、みたいな風に思っていたのかも。

 

「必要な時に必要なものが必要な分だけ手に入る。

 

これは物質だけではありません。

 

出会いも同じなのです。」

 

そうだよね~。

わかりました~~~~。

 

「どうするかはご自分で決めてくださいね。

 

私がお伝えしているのは一つのものの見方なのですから。」

 

そうそう、これがジャッジメントのない世界だよね~。

言うことを聞かせよう、とか、どっちが正しい、とかいう圧力がない。

 

でも確かに、出会いに執着してて辛いのは自分だから、

その辺は割り切っていけるようになろうと思いました。

 

ありがとう!

 

「はい。心から応援しています。

 

ありがとうございました。」

 

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