ゆるんでいく日々

楽に自由になっていくことを追求しているヒーラーのチャネリングメッセージと、ライフワーク日記をお届けします。

「みんなで一斉に」は私たちを効率よく管理するために施される、洗脳!

このブログはお引っ越ししました

2021年1月から、ゆるんでいく日々は再開いたしました。

yurun.jeez.jp

こちらで更新しております。

今後ともよろしくお願いいたします。

初めまして。

質問というか疑問というかなのですが、「黙祷」に意味はあるのでしょうか。

亡くなった方を悼んだり、同じ過ちを繰り返さない事を誓ったり、そういう気持ちを否定するつもりはありません。

ですが、何日の何時、しまいには黙祷する秒数まで決めて、皆で一斉にやりましょう、とする事に、意味はあるのでしょうか?

黙祷をしなければ不謹慎ですか?

祈りも沈黙も、強制されるものではないと思います。今日会社で「皆で黙祷しましょう」となりましたが、私は目を瞑らず、冥福を祈るかわりに、原発がなくなって皆が笑って暮らせる世界を想像しました。

自分は自分の思うとおりにする、これでいい、と思いますが、「こんなの茶番だ」と思ったに罪悪感もあります。

『それでいいんじゃないですか?』と言われて終わりのような気もしますが 笑

なんとなくもやもやして、「そうだその存在さんに聞いちゃってみよう」と思い立ち、メールしました。

もし何かお返事がいただけるようなら、教えてもらえると嬉しいです。

もやもや長文メールで失礼致しました。

よろしくお願い致します。

(ふりこさん より) 

 

ご質問ありがとうございます~!

 

これは3月11日の前後にきた質問です。

ってなわけで、その存在、どうですか?

 

「そうですねぇ、それではご期待に応えて

 

それでいいんじゃないですか?笑」

 

え~!笑

 

「冗談です。

 

黙祷には意味はあります。

 

それは散々、エネルギーのこと、波動のことをお話ししているから

 

もうご存知ですね。

 

祈りも、呪いも、存在するのです。

 

しかしこの方の言う通り、それを強制することは出来ないんですね。

 

なので、時間を決めて、一斉にやりましょう、というのは変なんです。

 

一斉にやりましょう、と呼びかけて、

 

それはいいですね、と思った人たちが集まって、一斉にやるのならいいんですよ。

 

しかし、会社など不特定多数の人がいるところで、それを強制するのは変ですね。

 

それでは、学校の時間割と同じでしょう。笑

 

黙祷したかったら、人それぞれ、好きな時にすればいいんです。

 

だからまあ、今から黙祷の時間ですよ、と言われても

 

別に黙祷しなくていいんです。

 

お腹すいたなぁ、今日の夕飯何にしよう?

 

と考えていても別にいいんですから。」

 

どうやら世の中では、

それは不謹慎ってことになるみたいですよ〜。笑

 

「そうなんですねぇ~笑

 

どうしても学校を思い起こさせますね。

 

起立、と言われたら立つように教育されているでしょう。

 

立たないと不良なんですね。

 

そこからして間違っているんですよ、立つか立たないかは自由なんです。

 

しかし、それだと支配・コントロールしにくい。

 

あなたたちを支配・コントロールしている存在は、

 

あなたたちをいかに効率よく管理するかということを考えています。

 

なので学校と呼ばれる収容所で、教育と呼ばれる洗脳が行われているんですね。

 

激しいようですが、事実を申し上げているまでなんです。笑

 

本来、不謹慎か、そうではないかを決めるのは他人ではないんですね。

 

自分が不謹慎だと思えばやめればいいし、そう思わなければ別にいいんですね。

 

人から「それはおかしい」「間違ってる」と言われても

 

それに従う必要はまるでないのですから。

 

しかし、そこをなんとか、従わせたい、と思ったら洗脳するしかないんです。

 

管理者の言うことを聞くように。

 

正しい間違っているを決めるのは自分ではなく他人であると。

 

あなたたちを、効率よく管理したいのです。

 

立てと言えば立ち、黙れと言えば黙り、働けと言えば働くように。

 

使うのは恐怖です。

 

そこからはみ出るときに感じるよう刷り込まれた感情が「罪悪感」ですが

 

「罪悪感」というのは恐怖なんですね。

 

罰せられる恐怖、見捨てられる恐怖が根本にあるのです。

 

間違えば罰せられる。間違えれば見捨てられる。

 

そうなれば生きていけないぞ、と教えるのです。

 

教えるのです、といえば優しいですが、脅しているんです。笑

 

生存の恐怖を使っているのです。

(参照:死んでも何も変わらない(前半) - ゆるんでいく日々

 

しかし、残念ながらこれは嘘なんですね。

 

別に間違っても死にませんし、

 

あなたたちを支配・コントロールする側から見捨てられても、

 

あなたたちは生きていけるんです。

 

大人になった今、洗脳を解くこともできるのです。

 

よく私たちのメッセージは、宗教やスピリチュアルなどとレッテルを貼られ

 

あなたたちを怪しい方向へ洗脳し、扇動していると誤解されますが、

 

私たちがしようとしているのは、

 

あなたたちを洗脳することではなく、

 

あなたたちの洗脳を解くことなんです。

 

檻からあなたたちを出すことは、私たちにもできません。

 

しかし、こういう考え方もありますよ、と伝えることで

 

あなたたちが自分の意思でそこから出る、ということはあります。

 

今までの教義に、おとなしく従っている必要はない、ということなんです。

 

なぜならその教義はあなたたちを幸せにしないのですから。

 

あなたたちを管理している側は、あなたたちの幸せを望んでいないのです。

 

 

なので、好きにしてください。

 

黙祷したかったらしてください。

 

黙祷せずに歌いたかったら歌ってください。

 

黙祷せずにトイレに行きたかったら行ってください。

 

人は自由なんですから。

 

それをすると白い目で見られます、とあなたたちは言うかもしれませんが、

 

白い目で見られるのが、なぜ、怖いのか?

 

それは、生きていけないと思っているからです。

 

周りの人間、親、社会、世間、会社、上司に見捨てられたら

 

生きていけないと思っているからなんですね。

 

生存の恐怖です。」

 

おっ、ループした。笑

 

「でも死なないんですよ、別に。

 

あなたが、自由に振舞って、みんなに見捨てられたら、

 

今度は、自由に振舞う仲間たちが、あなたを出迎えます。

 

そこで生きていけばいいんです。

 

だから好きにしてください。

 

見捨てられるのが怖いならそのままでいてもいいし、

 

それが苦しいのならば自分から見捨ててそこを出ればいいんです。

 

ご機嫌さんでいれば困ったことにはなりません。

 

あなたが、自分の人生を自分で創れるのですから。

 

人に作らせているといろいろ困ったことになるのです。

 

文句が出るのです。怒りが出るのです。

 

もし、ご機嫌さんでいるほうがお好みであれば、

 

我慢をやめて、やりたいことをやってください。

 

檻を出て、自分が好きに現実を創ってください。

 

 

あなたたちを心から、応援しています。

 

ありがとうございました。」

 

ありがとうございました〜!

繰り返し、繰り返し同じことを教えてくれるその存在です!!笑

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