<人間ってどうなの?>動物は地球の細胞の一部として、調和を目的に行動している。
その存在に聞いちゃえ〜コーナーです!
動物の世界について
人間の世界は弱肉強食の競争でバランスを崩していて、
自然界は調和で成り立っていて、自然に任せれば平和に生きられる
と聞きますが、
自然番組をみると、自然界でも天敵と被食の関係ならともかく、
同種の動物が縄張り争いしたり、
生まれた順番が遅いために餓死する子の話が出てくるため、
競争もあり平和ではなくみえるのですが、実際はどうなのでしょうか。
(ミアさん より)
その存在に聞いてみよ~!
それでは、よろしくお願いします。
「はい、こんにちは。
まず、同種の動物が縄張り争いするのも、調和のためです。
生まれた順番が遅く死んでしまう子供がいるのも、調和のためです。
自然の循環のなかで見れば、それらは争い、競争ではないんですね。
調和なのです。
動物は、地球の細胞の一部として、調和を目的に行動しているのです。」
なるほど。わかりました。
種の存続とか、生存競争とかも、すべて地球の循環のためにあると。
でも、動物の子供が、飢えて死んでしまう。
その時に、苦しみは感じないんですか?
ネガティブエネルギーは出さないんですか?
「まず、苦しみは感じません。
それはあなたたちも同じです。
死ぬ時、苦痛はありません。
苦しみとは、心の状態の中に、恐怖や不安があることなのですね。
あくまで心の状態なんです。
後悔や、怒り、悲しみ、これらは恐怖の感情のパターンなんですね。
心の中に、恐怖があるのです。
「死ぬのが怖い」。
この恐怖があるのなら、それは、死んでも、なくなりません。」
死んでも「死ぬのは怖い」と思ってるって、超ファニーな状態ですね。
「はい、ファニーな状態を大真面目にやっているのです。
何度も申し上げておりますが、命は、死なないんです!
(参照:死んでも何も変わらない(前半) - ゆるんでいく日々)
それは、変化なのです。
変化して、変化して、変化しつづけるのが宇宙の実態で、
その変化の一部だけを切り取って「死」というレッテルを貼った。
それが実態なのです。
なので「死んでも」、循環するのです。
循環の一つの側面が「死」だということなのです。
動物たちは、地球の一員として、その循環に入ることに完全に合意しています。
当たり前ですが…。
その循環の一つの側面である「死」にも合意の上なのです。」
難しい話になってきたぞぅ…。汗
えーと、んじゃ動物は生存競争も、循環のためにしてると。
ということは循環のためにだったら
人間だって、生存競争、弱肉強食が、すこしは必要ですか?
「生存競争という言葉は間違っています。
動物たちは、生き物たちは競争なんてしていません。
循環のごく一部分を取り出して「これは競争している」と見ているだけです。
同じように、「弱肉強食」という言葉は嘘です。
人間が都合よく考え出した言葉です。
弱い生き物の肉を、強い生き物が食べる。
自然は、こんなことをしていません。
よく見てください。
弱いとはなんですか?強いとはなんですか?」
戦いに強いかどうかってことじゃない?
猫のほうがネズミより、戦ったら強い。
「猫と、ネズミは、戦っていないのです。
個体で見たときに、勝った負けた、と見えることはあるでしょう。
猫がネズミを捉えた、ネズミが猫から逃げて一命を取り留めた、など。
しかし地球の循環の視点で見たときに、そこに戦いはないのです。
わかりますか?
完璧に調和しています。
弱肉強食、という現象は自然界にはないんです。
弱肉強食の意味は、弱者の犠牲の上に強者が栄えることです。
こんなことは自然界を見渡してみればわかりますが、起こりえません。
すべては循環なのです。
こんなことが起こっているのは、あなたたちの社会だけです。
ピラミッド社会だけです。」
とほほ~。
なんか脱力しちゃう。
人間が嫌になっちゃうね~。
人間が、ピラミッド社会を脱して愛に目覚めたら、
地球の循環に、完全に参加することになって、
縄張り争いをしますか?循環の中で。
しつこいようですが。
「しません。
必要ないからです。
動物が縄張り争いをしているように見えるのは
別に喧嘩をしたくてしているわけではなくて
循環において、その行動が必要だからなんですね。
大いなる計らいに従って生きているだけなのです。
従って、と言いましたが、完全に合意して従っています。
人間も、愛を実践すれば
大いなる計らいのままに生きることができます。
つまり分断、分離、解離、そのような状態が
統合、循環、融合の状態に変化するということです。
はっきり申し上げると、動物と人間は違います。
意識のレベルが…違うのです。」
なんか、すごく言いにくそうですね。
(明日に続く!)