仕組まれた女性蔑視〜女性を貶めることは、自分たち民族への恵みを貶める行為〜
さて、今日は私から話題提供です。
女性について、その存在はどう思いますか?
「こんにちは。
それは、漠然とした質問ですね…。」
(この動画を見て色々聞いて見たくなった)
女性が中心?になった社会って、どんなだろう?と思ったんです。
私は生まれてから男性が中心の社会しか知らないので…。
縄文時代はどうだったんですか?
「縄文時代も別に女性が中心というわけではなかったですよ。
むしろ男女平等…という言葉もバカバカしいくらい
老若男女、さらに生きとし生けるものすべてが
とても尊重し合って営まれていたのですから…。」
へー。
なんか夢物語みたいだけど本当にそんなことあったんですね。
「夢物語ではありません。
非常に、シビアに、現実的だったのです。
だからお互いが等しく尊重し合うことができたのです。
シビアに現実的に「豊かさとは何か?幸福とは何か?」を追求すれば
必ず行き着くのは、調和であり、循環であり、共創なのです。
彼らは、調和こそが、豊かさであり、幸福であると知っていたのです。
私から見れば、あなたたちの時代の方が、
ずっと夢見がちで、現実が見えていないように思います。
だから問題ばかり起こるのではないでしょうか?」
あーん、ドラえもん、いじめないで~!(涙)
「なんの話だったでしょう?
女性ですね…そうですねぇ。
縄文時代は、人々は女性を非常に敬っていました。」
あれ?平等じゃないの?
「勝手に、人々が女性を敬っていたんです。
別に誰に頼まれてもいませんが…。
それはなぜか?
女性が循環の象徴だからです。
みんな知っていたのです、
女性の性こそが、循環だと。
そして、その恵みを、自分たちの民族が享受しているということを。
これは地球の循環から恵みを享受する生命、その縮図です。」
なんかいきなり高尚なことになってきたぞ。
「人々は、地球を愛し、敬っていました。
そして同じように人々は大層、女性を敬っていたんです。
循環を敬うことは、
大いなる循環の一部である「自分を」敬うことでした。
その行為こそが、自分への感謝であり誇りだったのです。
あなたたちを支配している存在は、精妙な波動が嫌いです。
この、自分への感謝と誇りは、
とても精妙な、調和に基づいた波動なのです。
簡単に言えば超ご機嫌さんだということです。
なので徹底的に貶めなければいけませんでした。
その目的において、女性を貶める必要があったのです。
女性を貶めることは、自分たち民族への恵みを貶める行為なのです。」
ほほー。
それが見事に功を奏しているわけですか。
やっぱりその存在から見て現代社会の女性ってひどいですか?
「ひどいっていうことはありませんけれども。笑
女性がひどいというか、女性の扱いがひどいとは思います。
それは男性だけじゃなくて、すべての人がです。
女性もです。
しかしそれはなぜか?というのは、今言った通りです。
女性を尊重してしまうことは民族の誇りを取り戻すことにつながるのです。
あなたたちを支配している存在は、
あなたたちにその誇りは不要だと考えているのです。」
さっきから言っている民族ってなんですか?
日本人っていうことですか?
「違います。
民族というのは同じ文化を共にする人たちです。
別に人種や国境は関係ありません。
確固たる境界線があるわけではないですし、
入れ子構造になっていますので、
どの特定の「民族」という意図もありません。
大きく考えれば、地球民族ということです。」
文化でみたまとまりってことですね?
「文化というのも循環の一つの形なのです。
様々な要因が(土地の形状、気候など)絡まり合って形成するものですから。
あまり深く考える必要はありませんが、
文化人類学的な話題ですので、民族、という言葉を使ってみたのです。」
学者かよ!
「すみません、何の話だったでしょうか?」
えーと、女性を尊重することが民族の誇りになる、
という話です。
「はい。
そういうことです。」
終わりかよ!
じゃあ、どうすれば誇りを取り戻せますか?
「我慢をやめて…」
好きなことをしてください、ですね。
お後がよろしいようで~!笑
「いつも同じことばかり言っていますが
そういうことです。
ただ、思い出すだけでいいのです、誇りを…。
もともと持っていたものなのですから。
そうすれば自然と、女性も、他人も、生命も、自然も、
そして、自分のことも、尊重することができます。
あなたたちを心から応援しています。
ありがとうございました。」