お客さんからお金をもらったら、無邪気に「お金がもらえるー!やったー!」と喜んじゃえばいいんだよ〜!
先日、しきに「リベレスタの予約がきたよ~」と言われた時に
(予約管理などは、しきがやってくれています)
「やった~、これで¥いくらいくら¥だ~」って思っちゃった自分がいたんです。
で、それを自覚したら、なんかすご〜〜〜く罪悪感が湧いてきて、
「これって、人をお金で見てるってことだ~、やばいやばい!」
ってめっちゃ焦っていたら、その存在に笑われました。
「その考え方はあなたがたのお金に対する歪んだ価値観を表しています。
あなたは、お金をもらったら、嬉しくないんですか?
嬉しい気持ちになるのではないですか?」
なります。
「なのに、お金をもらう事を、喜んじゃいけない、とも思ってるんです。
無邪気にお金がもらえるー!やったー!と思っていればいいのではないですか?
確かに私から見れば、ただの紙切れですが、
それが嬉しいなら、それでいいんですよ。」
そうですよねぇ…。
でもなんだか、それはすごく、「卑しい」「さもしい」考え方だ、
と、思っちゃうんです。そう、刷り込まれていて。
「それが変なんです。
プレゼントをもらって嬉しいのと同じように
お金をもらっても、嬉しいんですよね?
その感情は、嘘ではないんですよね?
なのに、なぜか、その感情を隠そうとする。
嬉しいなら、嬉しい!と感じて表現していいんです。」
でも人を、お客さんを、「お金」としてみているみたいで…。
「では、あなたはその人に興味がないんですか?」
いえいえ、興味ありますよ。
あ~この人ブログ読んでくれている人だなぁ、どんな人なんだろう
会ってみたいなぁ、どんな回になるか楽しみだなぁ、とか、毎回思ってます。
自分じゃ思いつかないような質問とかしてくれるんだろうなぁ、とか。
「本当にお客さんをお金に見ていたら、その気持ちにはなりません。
お客さんが入っても、その人に興味は持ちませんし、誰が来ても一緒と思います。
その人の個性などは、むしろ邪魔なものだと捉えるのではないでしょうか?
お店だったら、あれこれ質問もせず、おとなしく買ってくれるお客さんがいい、
とか思ったりするんじゃないですか?」
たしかに…。それはないっす。
むしろ出会いをちょう楽しみにしてます。
「なら、あなたはお客さんをお金として見ていないのです。
強いて言えば、枠(わく)をお金として見ているのです。
例えば、1日に3枠のセッションがあったとしましょう。
1枠1万円で、すべて埋まれば3万円として、
すべて埋まったよ、と聞いて、「やったー3万円もらえる~」と思う。
こういうことなんです。
実際、客観的事実として、そうなのです。笑
枠は、誰が入っても、枠です。
なので、そこは個性もなく、ただお金として見てもかまわないのではないですか?
あなたたちは、お金のことになると、なんだか急に、
客観的事実を歪めてみたり、感情を素直に認められなかったり、
妙に神妙にしなければいけないとか、すごく感謝しなきゃいけないとか、
それ以外のものと価値観が全然変わってしまうのですね。
その歪んだ価値観こそが、刷り込みなんですが…。
きゅうりは、ただの、きゅうりです。
おもちは、ただの、おもちです。
お金は、ただの、お金です。
深く考えなくていいんです。
もらって、嬉しかったら、喜べばいいんです。
「うれしいです〜!ありがとうございます〜!」でいいんです。
もらって、嬉しくなかったら、喜ばなければいいんです。
お金それ自体に、汚いお金も綺麗なお金もありませんし、
あの人からもらうならいい、この人からもらうのはだめ、
ということもないんですよ。」
うん、そうだよね。
ほんと、そんな当たり前のことに、なんで気づけないんだろうね。
その存在、ありがとう!
「心から応援していますよ^^
ありがとうございました。」